敬愛する祖父が亡くなった話。

敬愛する祖父が亡くなりました。91歳でした。

延命密院へつづく石段
事務所の近くにある延命密院へつづく石段。ポケ活がてら、寄ることがあります。

祖父といっても血のつながりはありません。夫の祖父で、私が群馬に嫁に来たとき、「○○君に嫁がきた!」と手ばなしで無邪気に大喜びしてくれた人でした。

自己肯定感の低い私にとって、「こんなに喜んでもらえるほど私はたいした嫁ではないのにな」と恐縮しつつ、でもとても嬉しかったです。

会うたび大喜びしてくれました。おじいさんは、人が好きで子どもが好きで、孫が大好きな人でした。

子どもが生まれてからは、家が近かったのでよく連れて行きました。ひ孫に対してもおじいさんは大喜びしてくれました。

私が一つ決めていることがあります。それは、いつか将来私の子どもたちがパートナーを連れてきたら、相手を否定せず、とにかくおじいさんのように喜ぼうということです。

私がそうされて嬉しかったからです。

私の母親は2回結婚し、2回とも失敗しました(2度離婚しました)。

最後の結婚では、暴力から逃げるために夜逃げし、2年以上泥沼の離婚調停をしてようやく離婚できました。

夜逃げには私と兄も同行し、その後なかなか波乱万丈な(ある意味愉快な、しかし経済的にはとても厳しい)生活を送りました。

母の結婚の失敗について、母の親戚から母は、何度か責められていました。その関連で、「貧乏なくせに子どもだけは産んで」という悪口がありました。私が面と向かってそれを言われたわけではないのですが、人づてに耳に入ってきました。それを聞いた当時の私は幼く、年を取った今ならふてぶてしく聞き流せるのですが当時はそんな図太さもなく、そのままその悪意のある言葉を受け止め、吸収し、結果、自分の存在価値を疑い、今なお自分に対して自信喪失しています。私は生まれてきてよかったのかという根源的な問いは、これだけ年をとった今でも私自身を苦しめていることに、驚きと、その言葉を発した人の罪深さにおののきます。

その母に育てられた私にとって、結婚とは不幸せになるものという思い込みがありました。

今の夫と結婚したのはほとんど博打のようなもので、どうせすぐ失敗するだろうと自分では思っていました。

ところが、10年以上経つ今なお婚姻関係は続いており、どうやらこのまま続いていくようです。この先何十年経ったら分かりませんが、今のところ私はこの結婚を気に入っており、継続していこうという努力を日々続けています(それは多分、幸いなことに、夫もだと思います)。

その要因の一つが、間違いなくおじいさんの存在だったと思うのです。

おじいさんが私という存在を否定せず、ただひたすら喜んで迎えてくれたおかげで、私は自分にも少しは価値があるのかもしれないと思うことができました。

おじいさんには、感謝しかありません。ありがとうございました。どうか、安らかに。