より詳しい自己紹介

私こと野口香について、紹介します。

私の社会保険労務士証票。
私の社会保険労務士証票です。いつも財布に入れて持ち歩いているのでボロボロです。

略歴

新潟県新潟市出身。

途中までは両親そろっていましたが、中学生の頃片方がドロップアウトしました(より正確には、母が私と兄を連れて逃げました)。以来、ずっと母子家庭で過ごしました。

1992年 新潟高校卒業。

校歌は覚えていませんが、「ますらお」なら今でも歌うことができます。

部活動には参加せず、たまに母の新聞配達の仕事を手伝っていました。高校時代は夜逃げした直後で最もお金がない時期でしたので、息をひそめてひっそりと過ごしていました。それでも暴力や大声で罵り合う声のない生活は素晴らしいものでした。

1996年 東北大学文学部卒業。

東洋史学専攻。中華民国時代の白狼というマイナーな匪賊をテーマに卒論を書きました。その後、かなり何年も経ってからではありますが、当時の尊敬する教授の一人が白狼について論文を発表し、かなりビビりました。教授、なぜそのテーマを選んだんです!???もちろんクオリティは教授の方が何十倍も上ですし、私が読んだ文献の何倍もの量を読み込み、さらに独自に発見した新文献まで紹介していて、「さすが!」と思いました。こてんぱんにやっつけられた感覚ですが、ある意味すがすがしいです。

1998年 東北大学大学院文学研究科修了。

修士論文は西太后について書いたような覚えがあります。修士論文を審査してくれた教授からは、「君の論文はジャーナリスティックだね」との評をいただきました。つまり、論文の体(てい)をなしていない、その辺の雑誌かゴシップか何かのように、興味のあるものを興味のおもむくまま書いた文章であって、これは論文ではないよねということをおっしゃりたかったのだと思います。全くもってその通りでして、面目ないです。今も毎日ブログを書いていますが、多分論文ではないし、かといって日記でもなく、興味のおもむくまま、自由に(しかし、著作権や社労士法は遵守しつつ)書いています。

大学時代・大学院時代は如春寮という女子寮で過ごしました。経済的な寮費で、大変助かりました。

大学4年間、学友会の女子バレーボール部に所属していました。友達いない歴=18年という過去を隠すためです。なぜかこのころ、友達がいないことが恥ずかしくてたまりませんでした。この作戦はかなりうまくいった気がします。周りの人たち(部員)には、私という、うちとけない奇妙な人間がいたことで、何かと迷惑をかけたなと思います。

大学での研究はおもしろくて楽しくてしょうがなかったのですが、40歳過ぎても定職に就けない現実(研究室に40代の助手さんがいて、ものすごく優秀な方だったし、奥さんもお子さんもいたのに、ポストがないばかりに助手という身分に甘んじていました)を見て、「あんなすごい人が40歳になっても助教授になれないなら、私はもっと無理。私は母子家庭でさんざん貧乏してきたのだから、早く就職してちゃんと毎月お金を稼ぎたい」と思い、大学を去りました。

1998年 名古屋市役所に就職。

某区役所で国民年金の窓口係を4年経験しました。

その後、希望を出して情報化推進課という部署に異動し、そこでも4年過ごしました。

地方公務員の仕事は、おもしろかったのですが、ストレスが半端ではなかったです。常に税金泥棒という言葉に責められているような気持ちでした。

2006年 海外で働いていた夫と縁あって結婚し、名古屋市役所を退職、夫と暮らすために群馬に移住しました。

しばらく無職でいましたが、二人目を産んでからパートに出ました。

2010年 パートで働き始めました。

パートで勤めた会社は、車の組み込みマイコンのテストをする会社でした。C言語のソースコードをテストする仕事をしました。

この会社で8年ほど働き、社会保険労務士の資格をとり退職しました。

2018年 社会保険労務士事務所に就職しました。社労士登録もこの年です。

この事務所では6か月間働きました。社労士の事務仕事はここでほとんど覚えました。

しかし、早朝6時出勤、退勤が21時過ぎ、月の時間外労働が100時間という激務な生活に耐えられず退職しました。

2019年 外国人技能実習生を受け入れる監理団体に就職。

ここで2年半働きました。

ここでは一応社労士として雇ってもらったのですが、ほぼ行政書士さんのようなお仕事(入管に提出する書類作成)ばかりしていました(たまに社労士の仕事)。

人手不足で書類作成の人員が足りておらず仕方がなかったのですが、人を増やしてほしいと再三お願いするもなかなか増えず、このままでは社労士としてのスキルがどんどん落ちていくことに危機感を抱き、辞めました。

2022年4月15日 社労士事務を開業しました。

血液型

O型

兄弟姉妹

姉、兄1、兄2、私の4人。

姉と兄1もすごいなと思いますが、最も尊敬しているのは兄2です。パートナーを大事にしているからです(中学の同級生と結婚し、そのまま現在まで続いている)。

特徴

早寝早起き(9時には就寝、朝4時起床)

身長168~9センチ。←年によって身長が変わります。今年は169センチでしたが、去年は168センチでした。

体脂肪率30%(毎朝体重計とけんか)、体内年齢45歳。

好きな小説家

伊坂幸太郎さん、上橋菜穂子さんのお二人の作品は出たら必ず読みます。

性格

正義感が強め。真面目。

約束を守ります(守れない約束はしたくない)。特に、子どもとの約束は必ず守るようにしています。

見た目から誤解を受けますが、気は強くないです。むしろ気が弱く、ビビりです。

自己肯定感低めです。

臆病、慎重、警戒心強め。

パーソナルスペースがかなり広いです。

エピソード

コンビニでバイトしているとき、お客さんが店内に入ってきた瞬間に「いらっしゃいませ!!」と私が言うのは、私のパーソナルスペースがかなり広いせいだということにこの前気が付きました。私のテリトリーに誰かが入ってきた!やばい!警戒せねば!!という思考をたどり、即座に「いらっしゃいませ!!」という言葉が出るようです。

電車やバスに乗っているとき、年配の方や妊娠中の方などには必ず席を譲ります。小心者なので、心臓バクバクいいながらですが。迷惑がられないか、毎回ビクビクしながらですが。しかし、群馬に越してきてから、公共交通機関に乗る機会がめっきり減りました。群馬では車社会なので、もっぱら車で移動しております。車の運転は苦手です。早く子どもたちが運転免許を取得しないかなーと思っています(そして、私のアッシーとなってくれないかなあと思っています)。

困っている人を見ると、助けたい衝動にかられます。目の見えない方が補助を求めていると、お手伝いします。偽善者だと思われないか、いつもおびえながらですが。私なんかが手伝って、かえって迷惑ではなかったかと毎回反省しながらですが。

苦手

嘘をつく人。約束を守らない人。お金のために不正をする人。

いばる人。威嚇してくる人。恫喝してくる人。大声で責める人。暴力で人に言うことを聞かせようとする人。

パートナーを大事にしない人。

パートナーの悪口を子どもの前で言う人。

暴力をふるう人。

お酒を飲んだ時に暴力をふるい、酔いが醒めた後覚えていない人。

調子のよいことを言われて気分がよくなり、軽々しく誰かの借金の保証人になる人(そしてその借用人に逃げられ、借りてもいないお金を返す羽目になる人)。←これは私の父です。

やらないと決めていること

借金。

誰かの借金の保証人になること。

自分ができないことを人にやること。

自分がされて嫌だったことを人にすること。

いばること。

値下げ交渉。

子どもに嘘をつくこと。

子どもとの約束を破ること。

パートナーの悪口を言うこと。

ただ悪口を言うこと(その人の悪口を言うなら、その人のいい面も見つけてからでなければ公平ではないと思うのです)。

与えられたミッションを途中で理由もなく投げ出すこと。

自分でやると決めたミッションを途中で理由もなくあきらめること。

社会保険労務士法違反となること(特に不正、非社労士との業務提携には細心の注意を払って警戒)。

なぜ社労士になったのか

最初の入口が国民年金の窓口係でした。

市役所では新人向けの研修を1か月くらいやってくれるのですが、いざ窓口に立ってみて悟りました。

全然足りん!と

研修で教えてくれることは、わずかです。

窓口に立つと、研修で得た知識では全く足りないことが分かりました。

それで、独学で国民年金法を学び始めました。

そうしたところ、社会保険労務士という資格の試験問題中に、国民年金法が含まれていることを知りました。

当時他にお金を使こともなかったので、30万円もするコースを申し込み、社労士試験コースに通いました。

私は学ぶことは大好きなので、全く苦にならないというか、楽しかったです。

国民年金だけ学べればよかったのですが、ついでに労基法や安全衛生法、厚生年金法など、それまで全然知らなかった法律についても学ぶことができました。

試験に特化したコースだったので、全体を俯瞰的に学ぶということはできなかったのですが、あの1年間はとても充実していたと思います。

それで、記念に受験もしました。まだ筆記試験が残っていた平成11年だったと思います。

もちろん、落ちました(当たり前)。

その後、システム系の職場に異動になり、しばらく社会保険労務士のことは忘れていました。

退職し群馬に来て結婚し、子どもも生まれて再び働き始めたときに、また社会保険労務士について学ぶ機会がありました。

私は子育て中ということもあり、パートとして働き始めたのですが、この仕事がとても楽しかったのです。

職場環境もとてもよかったです。

でも少しずつ変なところがありました。

タイムカードが15分単位であったり、契約期間が3か月と異様に短かったり、雇用保険に加入できる時間数のはずなのにいつまでも加入させてくれなかったり(あとで課長が雇用保険と厚生年金の区別ができていないことが発覚)、そういうことをちょっとずつ調べて会社に要望を出していくうちに、再び社会保険労務士について調べる機会が増えました。

いつまでもパート待遇でいることにも不満がありました。

そのころにはフルタイムで働くようになり、重要な仕事も割り振ってもらえるようになっていました。

だったらもうパートでなく正社員として働きたいと思ったのですが、正社員転換は狭き門でした。

私より後に入った若い契約社員が先に正社員転換に選ばれたときは、地味にへこみました。

それで、まじめに社会保険労務士を目指すようになりました。

つまり、社労士になりたかった一番の理由は、パート待遇を脱し、正社員になりたかったからです。

社労士になってよかったこと

  • 正社員になれたこと
  • いつでも勉強してよいこと
  • 本を買っても怒られないこと
  • セミナーに堂々と参加できること