賃金の前借

「従業員から賃金の前借を頼まれたんだけど、払わないとだめですか」とのご相談について、私の考えを説明します。

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既往の労働分

既往の労働分は賃金の支払日前であっても非常時には支払う義務があります(労働基準法第25条)。

使用者は、労働者が出産、疾病、災害その他厚生労働省令で定める非常の場合の費用に充てるために請求する場合においては、支払期日前であつても、既往の労働に対する賃金を支払わなければならない。

労働基準法25条

ここでいう「その他厚生労働省令で定める非常の場合」というのは、次のとおりです。

一 労働者の収入によつて生計を維持する者が出産し、疾病にかかり、又は災害をうけた場合

二 労働者又はその収入によつて生計を維持する者が結婚し、又は死亡した場合

三 労働者又はその収入によつて生計を維持する者がやむを得ない事由により一週間以上にわたつて帰郷する場合

労働基準法施行規則第9条

つまり、労働者本人の出産、疾病、災害だけでなく、その労働者の収入によって生計を維持する者等の出産、疾病、災害も非常の場合となります。

従業員に前借りしたい理由を聞いて、上記のような理由があったら既往の労働分については支払いを拒めません。なお、拒んだ場合の罰則は、三十万円以下の罰金となっています(労働基準法120条)。

逆に、上記のような事由でなく、例えば「クレジットカードの引き落とし日に残高が足りないから」などというような理由の場合は、支払いに応じる義務はありません。

未来の労働分の前借

ところが、実際には既往の労働分ばかりか未来の労働分についても前借したいという要望を受けることがあります。

既往の労働分かつ非常の場合には支払い義務があるのであれば、支払い義務がない未来の給与について支払うのは会社の裁量で許されるのではないかとお考えになるかもしれません。しかし、これには注意が必要です。場合によっては、労働基準法17条違反となります。

使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない。

労働基準法17条

この条文を読むと前借金自体だめという気がしてきますが、そうではなく、「本条では、前借金そのものは禁止せず、単に賃金と前借金を相殺することを禁止するにとどめたもの」(令和3年版労働基準法 労働法コンメンタール255p)ということですので、前借金自体は禁止されていません。でも、賃金と相殺することは禁止されています。

どういうことかというと、来月分の賃金を前借した従業員がいたとして、1か月働いて賃金支払い日になりました、さあ、賃金を支払うべきか、前借りした分を天引きするべきかというと、いったん賃金はまるまる全額支払い、そのあとで従業員本人から前借した分を現金手渡しで返してもらうとか所定の口座に振り込んで返してもらう分にはOKですよということです。

え!そんなことしたら、返すやつなんているもんか、とりっぱぐれるじゃない!?とご心配な方もいると思います。私もそう思います。しかし、前借金を労働者の足留め策とし人身売買のように利用した過去の歴史から、このような法律ができたものと思いますので、致し方ないかとも思います。

これは完全に私の個人的な意見になってしまうのですが、安易に労働者に賃金を前貸しするのは(既往の労働分で非常の場合は仕方ないですが)おすすめできません。

実例

実際問題、現在の日本社会でこのような前借りをしたいという労働者はそんなにいないと思いますが、私の経験では、外国人技能実習生が前借りを会社に依頼してくることがありました。

彼らの場合、本国が台風や地震などの災害に見舞われたり、本国で暮らす家族が病気や出産などで困っていることが考えられますので、まずはよく事情を聴いて、本当に非常時かどうか確認してください。

もし、ギャンブル等の借金のためという理由でしたら、絶対に前借りは許さないでください。なぜかというと、過去にそういう事例があり、前借りを許した結果、その実習生はお金を返さないまま失踪しましたので。あとで判明したことでは、その実習生は仲間打ちで賭博をして多額の借金を抱え、困った末に賃金を前借し、そのまま消えたのでした。