本人に弁明の機会を与えないでした懲戒処分

以前、ある弁護士さんの授業を受けたとき、「懲戒処分を行う際、本人に弁明の機会を必ず与えなくてはいけないというものではない。就業規則に定めた手続きに従って処理すればよく、なんでもかんでも弁明の機会を与えよというのは、よく社労士さんが言っているが、それは違う」というようなことをおっしゃっていました。

それがずっと気になっていたのですが、今回別の方(労働法専門の学者さん)のセミナーを受けて、ようやく自分のもやもやがすっきりしたので記事にしておきます。

懲戒処分と弁明の機会

懲戒処分のときは、本人に弁明の機会を与えましょう。たとえ就業規則に定めていなくても。

なぜなら、懲戒処分というのは、相手に不利益を与え、場合によってはその人の人生を左右するものであり、処理するのであればできるだけ慎重になるべきであるからです。

懲戒処分は国家が下す刑罰ではありません。しかし、その性質上、罪刑法定主義と類似の要請をもちます。例えば、法治国家でない国では裁判を経ることなくいきなり死刑となることもあります。しかし法治国家ではそんな暴挙は許されません。必ず裁判を経ます。裁判では本人が意見を言う機会を与えられます。

これと同様に、懲戒処分においても、本人が弁明する機会をもつべきなのです。

テトラ・コミュニケーションズ事件

今回セミナー講師に教えてもらった裁判例は地裁レベルではありますが、東京地裁令和2年(ワ)第17363号損害賠償請求事件でして、別名テトラ・コミュニケーションズ事件と言います。その判決文の中の一文が下記です↓

懲戒処分に当たっては、就業規則等に手続的な規定がなくとも格別の支障がない限り当該労働者に弁明の機会を与えるべきであり、重要な手続違反があるなど手続的相当性を欠く懲戒処分は、社会通念上相当なものとはいえず、懲戒権を濫用したものとして無効となるものと解するのが相当である。

この事件はけん責処分という、懲戒処分の中でも軽い方でしたが、本人に弁明の機会を与えずなされたものでした。裁判所は、”本人に弁明の機会を付与しなかったことはささいな手続的瑕疵にとどまるものともいい難いから、本件けん責処分は手続的相当性を欠くものというべきである”と判断しました。

最も軽い懲戒処分ですら弁明の機会を与えなければいけないのであれば、より重い懲戒処分は言わずもがなです。たとえ就業規則に弁明手続について書いていなくても、いざそういう事態になったら本人に弁明の機会を与えるべきでしょう。

なぜ弁護士さんは就業規則に定めがないなら弁明の機会を与えなくてもよいと言ったのか

ここからは私の推測ですが、弁護士さんは裁判所で闘うことが多いです。すでに起きてしまったことをなんとかするのが弁護士さんのお仕事という気がします。

一方、社会保険労務士の仕事は、未然に紛争を防ぐことがメインだと思います。その違いが、先の弁護士さんの「就業規則に定めがないなら・・・」という発言につながったのかなと思います。

つまり、もし就業規則に定めがなく、本人に弁明の機会を与えず懲戒処分をしてしまったのなら、弁護士さんとしてはその事実でもって争うしかない訳です。その際、手続に瑕疵がなかったことを主張するために、「就業規則に定めがなかったから」と言わざるを得ないのかもしれません。

一方、われわれ社労士としては、もしそういう就業規則を見つけたら、懲戒処分をするような事態が起きる前に「本人に弁明の機会を与える旨、就業規則に付け加えた方がよいですよ」と企業にアドバイスするでしょう。ちなみに、厚生労働省が公表しているモデル就業規則には懲戒処分の手続については書いてありません。

未然に防ぐことがメインの社労士と、事後に対応することが多い弁護士さんとでは、ときおりこのように見解の相違が見られるのですが、ようく話を聞いてみると、両者の意図していることの本質部分は同じだったりします(どちらも依頼者の利益のために)。