週40時間、1日8時間の順番になったのはなぜか
労働基準法32条は第1項で週の上限時間を規制、第2項で1日の上限時間を規制しています。なぜ、週が先で日が後になったのでしょう?
旧条文
昭和63年法改正前の条文はこうでした。
使用者は、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間、一週間について四十八時間を超えて、労働させてはならない。(後略)
昭和63年法改正前の労働基準法32条(テキストは国立国会図書館のデジタルコレクションを参照しました)
休日が1週間に1回は当時から変わっていませんから、大変分かりやすく、すっきりとした労働時間制だったなあと思います。
1週間に1回の休日ということは、6日間働く訳で、1日8時間なら週48時間です。
最初に小さい単位である日がきて、次に大きな単位である週がくるので、分かりやすいと思います。
現在の条文
現在の条文はこうなっています。
使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
労働基準法32条
② 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。
週→日の順です。
改正の経緯
ところが、この第1項、40時間の部分はすぐに実行された訳ではありません。旧法では48時間だったところ、改正直後は46時間→44時間→40時間というように、段階的に減らされていきました。
このあたりの話は、安西愈先生の本がとても分かりやすく簡便にまとめていると思うので、引用します。
わが国の労働時間の実態等を考慮し、当面の法定労働時間については、週四〇時間労働制に向けて段階的に短縮されるよう政令で定めることとしたものであり、当初は一週間四十六時間制でスタートし、中小企業等については、法定労働時間の短縮につき一定の猶予期間、経過措置を設けた。そして、特例事業では施行当初の三年間は従来どおりの一週間四八時間とし、その後平成三年四月一日以降は原則的に一周四四時間制に移行し、平成六年四月一日からは原則的に一週四〇時間制へと法令改正が進んだ。そして、なお中小企業については経過措置として四四時間制があり、平成九年三月末日まで猶予されていたが、平成九年四月一日からは全面的な一週四〇時間制への移行となった。
安西愈「新しい労使関係のための労働時間・休日・休暇の法律実務」全訂七版121頁
昭和63年の法改正から、およそ10年かけて段階的に減らしていったのだと知り、驚きました。
私が就職した年(平成10年度)にはすでに週40時間が当たり前の社会になっていたと感じています。少なくともお役所(最初の就職は地方公務員)ではそうでした。
確か私が中学1年生までは、土曜日の授業があったことを記憶しています。
「来年からは土曜日も学校行かなくてよくなるんだって」と、誰かから聞いたときはとても嬉しく思ったものでした。
喧々諤々の法改正過程
ところで、週が先にきた条文案はいつできたのでしょう。
その辺の謎は、改正に至るまでの話を読むと分かりました。
当時、公労使みつどもえの喧々諤々の論陣が繰り広げられていました。
まず、労働基準法研究会(労基研)という組織が次のような中間報告書を出します。この辺の話は、東京大学労働法研究会が平成2年(1990年)9月10日に発行した「註釈労働時間法」という本が詳しいので、引用します。
労基研中間報告(昭和59年8月)では、労働時間の原則として「基本的方向としては、1週の法定労働時間を短縮し、1日の法定労働時間を弾力化し、当面、1週45時間、1日9時間とすること。また小規模の企業については、段階的な実施を考慮すること」とされ、1日9時間の原則については、週単位の時間規制を前提としてその各日への割り振りの問題であるとされていた。
東京大学労働法研究会「註釈労働時間法」平成2年(1990年)9月10日発行58頁
ところがこれに対して、労使いずれからも反対されたそうです。
労働者側は1日9時間に対して反発しました。1日8時間という労働時間短縮の流れに逆行するものであり、1日8時間、1週40時間するべきだという意見です。使用者側は1週45時間に対して反発しました。1週45時間というのは中小企業には困難であり、1週48時間を基本とし、1日の規制を廃止するべきであるという意見です(東京大学労働法研究会「註釈労働時間法」平成2年(1990年)9月10日発行59頁)。
結局、労基研は最終報告で、次のような妥協案を提出しました(東京大学労働法研究会「註釈労働時間法」平成2年(1990年)9月10日発行59頁)。
- ①基本的方向としては、労働時間の規制は1週間単位の規制を基本として1週の労働時間を短縮し、1日の労働時間は、1週の労働時間を確実に割り振る場合の基準として考えていくことが適当であること
- ②1週を単位とする法定労働時間としては、原則として45時間とし、1日を単位とする法定労働時間としては、1週の労働時間を確実に割り振る場合の上限として、原則として8時間とすることが適当であること
これに対しても、やはり激しい反発を巻き起こしたそうです。/(^o^)\どうしたらよいの・・・
中央労働基準審議会の建議
労基研の最終報告を受け、中央労働基準審議会(中基審)が昭和61年(1986年)12月10日になした建議はこちらです。
(1) 週40時間労働制を法定労働時間短縮の目標として定める。
(2) 当面の法定労働時間は週46時間とし、なるべく早い時期に週44時間とする。
(3) イ 中小企業等に対する新たな法定労働時間の適用については、一定の猶予期間を置く。
ロ 零細規模の商業・サービス業等については、労働時間の換算的な取扱いをする。
東京大学労働法研究会「註釈労働時間法」平成2年(1990年)9月10日発行59頁
これはかなり画期的な提案だったようです。これ以後労使及び世論の関心は建議にあった段階的措置の具体的内容に移っていったとのことですので、おおむね受け入れられたのでしょう。
令和の時代になってこういう文章を読むと、なるほど、猶予期間を設ける手法は、このころからあったのだなあと感慨深いです。平成を経、令和の時代にいる私にとって、法改正があるときには激変緩和のための段階的移行期間があるというのが当たり前になっているのですが、当時はまだそれほどでもなかったのかなと思いました。
消費税も最初は3%からでしたしね・・・・。
その後、第110回臨時国会で審議され、改正労働基準法は成立しました(昭和63年(1987年)4月1日施行)。
出来上がった条文は既述のとおりです。週が先、日が後になったのは当初の労基研の報告から一貫しています。
なぜ週が先なのか
では、なぜ当初の労基研の報告から一貫して週が先に来ていたのでしょう?
この点、行政からの通達には次のとおりあります。
法第三二条第一項で一週間の法定労働時間を規定し、同条第二項で一日の法定労働時間を規定することとしたが、これは、労働時間の規制は一週間単位の規制を基本として一週間の労働時間を短縮し、一日の労働時間は一週間の労働時間を各日に割り振る場合の上限として考えるという考え方によるものであること。
昭和63年1月1日基発1号
安西先生の分かりやすい解説はこちら↓
いわば、従来の「一日八時間」を中心とする”日建て”の労働時間の考え方から、「一週間の時間」を中心とする”週建て”の労働時間制へと考え方が変更したのである。
安西愈「新しい労使関係のための労働時間・休日・休暇の法律実務」全訂七版127頁
安西先生の本ではさらに、国会での労働大臣の答弁も引用して発想の転換を啓蒙しています。
そこで、これまでの法定の労働時間は、前述したように”日建て”であったものを、”週建て”としていくように労使ともに、労働時間について”発想の転換”をしていかなければならない。当時の平井労働大臣も国会での答弁において、労働時間法制としては、「週単位に変わるのだから、発想の転換を企業の労使がしてもらわなければ困る」と述べている。
安西愈「新しい労使関係のための労働時間・休日・休暇の法律実務」全訂七版128頁
労働時間は週建てが基本という風に変わった(変えたかった)ので、法32条において週が日より先の条項に登載されたということなんですね。これは、ILOの40時間制条約(週40時間の規制)の影響もあるのでしょう、日本は批准していませんが。
ところが実際にはどうでしょう。私は前職で賃金チェックをする機会が多かったのですが、1日単位→月単位での割増チェックは完ぺきなのに、なぜか週単位での割増チェックはことごとく抜け落ちている企業さんが多かったです。
週単位での割増が必要だと認識している企業さんは、肌感覚では少ないです。
この労働基準法の改正があったのはかれこれ20年以上前なんですが、実際にはいまだに”日建て”なんじゃないかなと思うのです。このことについては、また別の機会に記事にしようと思います。
まとめ
労働基準法32条の内容が、日→週でなく、週→日なのはなぜか、成立に至るまでの経緯を交えて紹介しました。
最初から週が先にくるよう、一貫していたのですね。
“日建て”から”週建て”の労働時間制に発想の転換があったのですね。
何かのお役に立てば幸いです。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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