社団法人日本社会保険労務士会連合会とは

かつて存在した社団法人日本社会保険労務士会連合会について調べたことを記事にします。

なぜこの団体について調べたかというと、今回調べるにあたって最初にインターネットで「社団法人日本社会保険労務士会連合会」を検索してみたのですが、全国社会保険労務士会連合会がヒットするばかりで、社団法人日本社会保険労務士会連合会にはたどりつけませんでした。

ということは、私がここで記事にすれば、検索したときに私のサイトがヒットするようになると思う下心からです(誰が検索するんじゃ!?という突っ込みは甘んじて受けます。こんなことを調べるのは全国で私くらいしかいないんじゃないかという気がしております・・・)。

昨日こういう記事を書きました。

その中で最後に、「社会保険労務士」という雑誌について触れました。この雑誌の発行は社団法人日本社会保険労務士会連合会という団体でした。

「全国」でなく「日本」社会保険労務士連合会?聞いたことがないなーー、今でいう全国社会保険労務士会連合会に相当するもの?と思って調べてみたところ、社団法人日本社会保険労務士会連合会というのは、昭和46年10月に発足した労働省系の団体でした(こちらの記事では昭和44年7月に発足、行政書士系とあります。この辺まだ確認できていないので、後日この部分は修正するかもしれません)。

一方で、厚生省系の団体、社団法人日本社会保険労務士会(会長古井喜實)という組織が存在していました。

両組織は、他方は労働省系、他方は厚生省系でして、主務官庁間のセクショナリズムがそのまま作用して、一つの団体になることは難しかった時代がありました(・・・ようです。見てきたわけではないので)。

もちろん今は統合し、全国社会保険労務士連合会が存在している訳ですが、そこに至るまでは紆余曲折と先人たちの大変な苦労があったようです。

この辺の経緯は、月刊社会保険労務士の昭和51年(1976年)10号(設立特集号)が詳しいです(国立国会図書館に登録してあれば、デジタルサイトで自宅で閲覧できます)。

また、こちらのサイト(中小企業福祉事業団のヒストリーof社労士)も詳しいです。

今でこそ「厚生労働」省といいますが、当時は厚生省と労働省でしたし、今は日本年金機構になってしまいましたが当時はまだ社会保険庁が存在していました。

そういう役所の縄張りとでもいうものが、民間の団体にまで影響を与え、組織自体が労働省系、厚生省系と分かれていたようです。

その結果どういう弊害があったかというと、社会保険労務士法と言うのは議員立法でできた法律でして、法改正するときも議員さんに陳情して動いてもらわないといけない法律なんですが、これがなかなかうまく改正してもらえなかったようです。

労働省系の団体がこういう風に改正してほしいという要望を出し、一方では厚生省系の団体が別に改正案を出していたら、議員さんも困ってしまうのは当然です。

そこで、法改正のためには組織を一本化するべきという意識が高まり、1976年(昭和51年)に統一した団体ができました。それが社団法人全国社会保険労務士会です。

労働系団体が出していた「社会保険労務士」という雑誌も、このとき厚生省系団体が出していた「月刊社会保険労務士」に統合されることになりました。

社団法人日本社会保険労務士会連合会とは